Lilibet148のブログ

人間関係、持って生まれた気質、適性のある仕事、日々色んな事に悩み、心を整理する為に書いています。

不妊治療のこと② 里親編

続き。

そして不妊治療を卒業した私は里親制度について調べ始めた。

このまま子供がいない、と言う人生でも良い、そう思っていた。何も思い残すことなくこの世を去れる、と言うのもそれはそれで清々しい気もする。

でもこれから親は年老いていく、自分達も年老いていく。
若い世代と言う”成長していく”という明るいものが家庭内に無いと言うのは寂しい気がしたのだ。

それに年老いてからは里子を預かりたくても自分達の体力が無くなるだろう。

まずは、調べよう。そこから始まった。


里親制度については市役所の窓口にチラシが置いてあり、読んだだけではよく分からないので担当の行政機関を訪ねた。
3回ほどの研修を受けて里親認定されると預かる事が出来る事が分かり、とりあえず夫に相談し受けることにした。
ちなみに不妊治療についても里親研修についても、夫的には強い意志はなく、やりたいなら付き合うよ、と言うスタンスだった。
子供が出来なくて悩んでいる女性の中には、夫が非協力的という話はよく聞いていたので、こう言う夫を持った事は幸せな事なんだろう。

本当に預かる事になるのかどうかは分からない。けど”やってみれば良かった”と後で後悔したくないから始めて見た。不妊治療の時と同じスタンスだ。


3回の研修を受けて目から鱗が落ちた。

里親制度に手を挙げたのは”子供を持てなかったので里親制度を利用して親になりたい”と言うエゴを満たす為だ。
でも里親と言うのは、虐待に遭ったり、育児放棄に遭ってしまった子供達のケアをし、一時的または長期的に預かり育てていく、と言う、自分の生活や人生をかけた壮大なボランティアだったのだ。(一応養育費用は出る)

普通に親になるのとは全く違う世界だった。
そして里親をやっている人達を尊敬した。
研修の中でモチベーションはなんですか、と現役里親さんに訪ねたら、子供が可愛いからといっていた。
”生きたい”と言う生命エネルギーに巻き込まれ、巻き込み、そして親子になっていくのだ、と言っていた。

研修は無事に終了し、里親認定された。
でも実際に預かるようになる事例はごく僅かであり、また一時的に預かっても親御さんのところに帰り逆に寂しい思いをさせてしまうかもしれません、と話があった。
なんだぁ、と夫はがっかりしていた。
研修でたくさんの子に触れ合って、楽しかったようだ。
そう、彼は元々子供が好きなのだ。産んであげられなくて申し訳なく思ったし、研修まで付き合って貰ったのに、預かれる事は希と聞かされて期待させてごめん、と思った。

ところがである。
昨年、生後二ヶ月のお子さんを預からないか、と話をいただいた。
正直嬉しかった。

でも里親認定してから数ヶ月。すっかり夫婦二人で生きていく心づもりでいた。
そしてその前月、親が倒れ、家庭が一番大変な時だった。
悩んだ末、話をお断りした。


もう自分達も40を過ぎている。体の不調も多くなってきた。
そして親はこれからますます介護が必要になってくるだろう。
病気の弟もいる。
新しい命の存在は皆の気持ちを明るくするだろう。
でも赤ちゃんのお世話ってきっとすっっっごく大変だろう。
それより、今ある命が寿命を全う出来るようにサポートする事にエネルギーを注ぎたいと思った。

だから後悔は無い。
不妊治療を止めた時と同じ様に。

不妊治療を止めた時、これでもう適当に生きてもOKだ、とそう思った。
子供の為に嫌いな人とも関わり、品行方正であり続け、常識人で無くてはならない、そんな呪縛から解き放たれた気がした。
また自分の様に少し他の人と違った所が多く、生きづらいな、と感じる人間を増やさなくて良かった、と思った。

けど里親研修を経て少し変わった事がある。
”生きづらいな”と感じて生きてきた人でも、自己否定する事無く生きられる世の中であるべきだよな、と。
里親を必要としている子達は何らかの理由で社会に適合していない。周りから問題視されている。または不遇な環境にあり、それ故歪んだ人格になる場合もあるだろう。
そう言う子であっても、その子に応じた教育や支援を過不足無く受ける事が出来たなら、私の様に自己肯定感が低くならなくて良いのでは無いか、と。

私の世代ではまだまだそれは叶えられなかった。でも次の世代ではもっとどんな子でも自分を肯定し、生きやすい世の中になってくれると良いな、と思う。