Lilibet148のブログ

人間関係、持って生まれた気質、適性のある仕事、日々色んな事に悩み、心を整理する為に書いています。

春の足音。

まもなく2月も終わる。
豪雪地帯在住なので、現在周囲には数メートルの雪があるが、それでも3月になると雪はあまり降らなくなり、晴れる日が増え、春らしくなる。

現在無職。一応主婦業はしているが、前の仕事を辞めてから1年半経つ。

周りで起きていたおかしな事柄は何一つ解明されていないけれど、ちょっとずつ気持ちも落ち着き、何かあっても冷静に対処出来る様にはなってきている。

資格の勉強をし、ヨガを楽しみ、ゆっくり晩ご飯を作る。

心穏やかに日々の生活を送り、たまに周囲と関わってイベントを楽しんだりしている。

この生活にとても満足はしているが・・・このままで良いのだろうか、とも思い始めている。

若い時からずっと「情熱を注げる何か」をずっと探してきた様な気がする。

そしてそれを「仕事」にしたい、と思ってきた。でもなかなか上手くいかないまま現在に至る。

 

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高校卒業後”手に職を”と考え、歯科技工士専門学校へ。
2年間歯科技工所にて過酷な勤務を経験した後、南魚沼市へ帰郷。

スキー場のアルバイトや市役所臨時職員を経験後”お金の事が知りたい”と思い、魚沼市の建設会社へ事務員として就職。約9年間勤務する。

事務員からのステップアップとして数カ所の会計事務所に数ヶ月ずつ転職するも、労働環境が合わず断念。
同時に、南魚沼市女子力観光プロモーションチームのサポーター活動や六日町あるきマップ、クラフトマーケット雪見市のボランティアスタッフとしての活動を機に、観光や地域活性に興味を持ち観光業界に転職。

魚沼市南魚沼市湯沢町の3市町村の観光協会にて契約社員として約1年程ずつ勤める。

仕事は楽しかったが、不妊治療をきっかけに退職。

2年半の不妊治療を経て子供を持つことは諦め再就職するも、紆余曲折あり現在、専業主婦。
2022年春から再就職を目指して活動中。

職歴が多く”THEダメ人間”に見えるかもしれませんが、真面目で努力家デス。
好奇心旺盛で人が好き。

次は腰を落ち着けて働きたいと思っています。

【所持資格】
1995.3 普通自動車第一種免許 取得                
1997.3 歯科技工士免許 取得                
2006.10 日商簿記検定2級 合格                
2008.5 建設業経理事務士1級(原価計算,財務分析,財務諸表) 合格                
2009.10 第一種衛生管理者免許 取得                
2013.10 国内旅程管理主任者 合格
2014.10 国内旅行業取扱管理者免許 取得
2018.3 ファイナンシャルプランナー2級 合格                
2018.10 マーケティング・ビジネス実務検定C級 合格                
2021.6  Microsoft Office Specialist Excel and Excel 2019 Expert
2021.8  Microsoft Office Specialist Word and Word 2019 Expert
2021.8  Microsoft Office Specialist Access and Access 2019 Expert

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こんな事をSNSのプロフィール欄に書いたところ、SNSの記載欄が変わり字数が急激に少なくなり書けなくなった。

まだ就職活動には早いと言う事だろうか。

春はすぐそこ。だけどまだ春では無いのかな。

もう少しだけのんびりしていようか。

 

正しく怒ること。

先日、SNSで絡まれた。
とある内容の投稿をした私に、日頃関わりの無い人から意味深なコメントを付けられたのだ。
とある芸能人に例えて私の事をバカにして来たと取れる内容だった。
投稿の内容とは全く関係が無かった。

裏で良く思っていない人達が居て、そそのかされてそう言う行動に出たのであろう。
常に周囲からバカにされ、相手にされてないけど良い様に使われている人だった。

初めは相手にしないようにしようと思った。
それが大人だと思ったから。

でもこう言う時に何も言わないから、やり返してこれない奴、と思って人は舐めてくるのかな、と思い
まずはどういう意図でコメントをしてきたのか質問した。
そして何も返答が無かったので、自分なりに解釈して、言葉を選び不快に思っている事を伝えた。

相変わらず返答は無かったが、自分の中で手応えを感じた。
自分も大切にしながら、感情のままに相手を傷付けるのでは無く、相手に不快の意を伝える事が出来た。

大人な対応をする、と言う事と、不快に思った事を伝えるのは両立出来るのだ。

今までは我慢した後に、爆発して修復不可能な関係になってしまう、と言う事が多かった。
でもこの方法なら未然に関係悪化を防ぐことが出来るし、自分も大切に出来る。

残念ながら世の中は残酷だ。
弱そうに見える奴を人は舐めるのだ。

そして相手が弱くないことを悟ると人は驚くほど怯む(笑)
こうなる前にさっさと気付けよ!とは思うけど。

まずは自分を大切に。
怒りを正しく伝える事はとても大切なのだ。

車は選べない。

私はかなり人と違ったところが多くあり、とても苦労しながら生きてきた。
人からバカにされる様な事も多々あったし、どうしてこんな風に生まれてきたんだろう、と幾度となく思って生きてきた。

でもある時こう思った。

「好きでこんな風に生まれた訳じゃない」と。

私の命を乗せて人生というレースを走る”車”は、自ら選んだのでは無いのだ。

めちゃめちゃクセもある。普通なら頑丈に出来ている所が脆かったり、ハンドルが操作できない時があったり、ブレーキがきかない時が度々あったり。
その度に周囲の人に迷惑をかけたり、ぶつかったり、周囲のドライバーからクラクションを鳴らされたりしてきた。

他の人は順調にレースを走っているのに、どうして私だけ・・・そんな気持ちに幾度なっただろう。


でもある時、こう思った。

この”車”は私が自ら選んだ訳では無い、と。

色んな事が自分のせいではないのだと思ったら、とてつもなく気が楽になった。
そしてこの”車”の操縦に一番苦労しているのは「私」だ。

よくやってる、私。そう思った。

そして、大人になり色々な経験を経て、ようやくこの”車”のクセが分かり始めた。

まだまだ色んな道を通らなければならないだろうけど、今は昔ほどこの”車”に困っていない。
色んな経験を経て、良さを活かしてコントロールするコツを掴んで来ているような気がする。

そして、同じ様にクセのある”車”に乗っている人に、少しだけ心を寄せる事が出来るような気がするのだ。
「お互い大変だよね、でも頑張ってレース、完走しましょ」

 

今はそんな気持ちでいる。

ミラベルと魔法だらけの家

先日、標題の映画を見に行った。

ディズニーはアナと雪の女王辺り?から、現代女性を応援するような作品が多くなってきてるなぁ。
なんて全部逐一見てる訳じゃ無いけど。
でもアナと雪の女王は呪いを解く”愛”が姉妹の愛だったり、運命の人は会ってすぐに分かるものでは無く、困難を一緒に乗り越えて時間をかけて気が付くもの、として描かれている辺りがやっぱりすごく画期的だったと思う。

さて本題。
ミラベルは魔法が使える一家の中で唯一魔法が使えない少女。
そのせいで祖母からは疎まれ、自分の存在意義を見つけられず、「認められたい」と言う承認欲求が強く、余計な事をしてしまったり”魔法が使える家族”が自分の自慢だったりする。
とても不完全で人間臭い、そして共感してしまう所の多い主人公だ。

つくづく主人公のキャラクター設定が変わってきているなぁ、と思う。
ディズニーのヒロインと言えば、見た目も良ければ性格も元から良い様に描かれる事が多いのに。
美女と野獣のベルとか、シンデレラとか白雪姫とか。
ディズニー外で言うとNHK朝ドラのヒロインや少し前のジブリの主人公も女の子みたいな感じ。
明るく心根が良く根性がある、みたいなやつ。

ミラベルはその劣等感故に身に付けた”人を思いやる”とか”人の気持ちが分かる”と言うところがある。
その長所を活かして、実はプレッシャーに押しつぶされそうだった姉や、本当はもっとやりたい事があるのに、祖母や周囲の期待に応えて”完璧な自分”を演じている姉の心を解き放つ。

そしてそれらの根源となっている圧政を強いていた祖母に、その事実を突き付けるのだ。「皆に無理をさせているのはおばあちゃんなのよ」と。

でもその祖母にも背景がある。
夫を殺され、新しい未開の地で村の人達と一から生活しなければならなかったと言う重責を、祖母はずっと担ってきたのだ。
一見、悪者として描かれる人にも心を寄せているところが、この物語のもう一つのメッセージなのだろう。

最近、こう言う流れが良く見かけられる。
先日終わった連続ドラマ”日本沈没”にも影の実力者という老害が出てくるけど、最終的には今の日本を作ってきた功労者なのだ、と言う描かれた方をしていた。

世界は今、こう言う流れにあるのだろうなぁ。
NETFLIXgoogle等に見られる組織の心理的安全性に繋がるものがある。

これは新しい”リーダー像”の話なのだろう。
尊敬する森岡毅さんの本にも同じ様な事が書いてある。

たった一人のリーダーに追従して行くのでは無く、個々の能力を存分に伸ばせる環境を作ること。
それが新しいリーダーの役割なのだろう。

すぐに世の中がそうなれば良いけどね。人の価値観ってすぐには変わらないよね。もどかしいけど、ちょっとずつ。そう、世の中はちょっとずつしか変わらないのだ。

不妊治療のこと② 里親編

続き。

そして不妊治療を卒業した私は里親制度について調べ始めた。

このまま子供がいない、と言う人生でも良い、そう思っていた。何も思い残すことなくこの世を去れる、と言うのもそれはそれで清々しい気もする。

でもこれから親は年老いていく、自分達も年老いていく。
若い世代と言う”成長していく”という明るいものが家庭内に無いと言うのは寂しい気がしたのだ。

それに年老いてからは里子を預かりたくても自分達の体力が無くなるだろう。

まずは、調べよう。そこから始まった。


里親制度については市役所の窓口にチラシが置いてあり、読んだだけではよく分からないので担当の行政機関を訪ねた。
3回ほどの研修を受けて里親認定されると預かる事が出来る事が分かり、とりあえず夫に相談し受けることにした。
ちなみに不妊治療についても里親研修についても、夫的には強い意志はなく、やりたいなら付き合うよ、と言うスタンスだった。
子供が出来なくて悩んでいる女性の中には、夫が非協力的という話はよく聞いていたので、こう言う夫を持った事は幸せな事なんだろう。

本当に預かる事になるのかどうかは分からない。けど”やってみれば良かった”と後で後悔したくないから始めて見た。不妊治療の時と同じスタンスだ。


3回の研修を受けて目から鱗が落ちた。

里親制度に手を挙げたのは”子供を持てなかったので里親制度を利用して親になりたい”と言うエゴを満たす為だ。
でも里親と言うのは、虐待に遭ったり、育児放棄に遭ってしまった子供達のケアをし、一時的または長期的に預かり育てていく、と言う、自分の生活や人生をかけた壮大なボランティアだったのだ。(一応養育費用は出る)

普通に親になるのとは全く違う世界だった。
そして里親をやっている人達を尊敬した。
研修の中でモチベーションはなんですか、と現役里親さんに訪ねたら、子供が可愛いからといっていた。
”生きたい”と言う生命エネルギーに巻き込まれ、巻き込み、そして親子になっていくのだ、と言っていた。

研修は無事に終了し、里親認定された。
でも実際に預かるようになる事例はごく僅かであり、また一時的に預かっても親御さんのところに帰り逆に寂しい思いをさせてしまうかもしれません、と話があった。
なんだぁ、と夫はがっかりしていた。
研修でたくさんの子に触れ合って、楽しかったようだ。
そう、彼は元々子供が好きなのだ。産んであげられなくて申し訳なく思ったし、研修まで付き合って貰ったのに、預かれる事は希と聞かされて期待させてごめん、と思った。

ところがである。
昨年、生後二ヶ月のお子さんを預からないか、と話をいただいた。
正直嬉しかった。

でも里親認定してから数ヶ月。すっかり夫婦二人で生きていく心づもりでいた。
そしてその前月、親が倒れ、家庭が一番大変な時だった。
悩んだ末、話をお断りした。


もう自分達も40を過ぎている。体の不調も多くなってきた。
そして親はこれからますます介護が必要になってくるだろう。
病気の弟もいる。
新しい命の存在は皆の気持ちを明るくするだろう。
でも赤ちゃんのお世話ってきっとすっっっごく大変だろう。
それより、今ある命が寿命を全う出来るようにサポートする事にエネルギーを注ぎたいと思った。

だから後悔は無い。
不妊治療を止めた時と同じ様に。

不妊治療を止めた時、これでもう適当に生きてもOKだ、とそう思った。
子供の為に嫌いな人とも関わり、品行方正であり続け、常識人で無くてはならない、そんな呪縛から解き放たれた気がした。
また自分の様に少し他の人と違った所が多く、生きづらいな、と感じる人間を増やさなくて良かった、と思った。

けど里親研修を経て少し変わった事がある。
”生きづらいな”と感じて生きてきた人でも、自己否定する事無く生きられる世の中であるべきだよな、と。
里親を必要としている子達は何らかの理由で社会に適合していない。周りから問題視されている。または不遇な環境にあり、それ故歪んだ人格になる場合もあるだろう。
そう言う子であっても、その子に応じた教育や支援を過不足無く受ける事が出来たなら、私の様に自己肯定感が低くならなくて良いのでは無いか、と。

私の世代ではまだまだそれは叶えられなかった。でも次の世代ではもっとどんな子でも自分を肯定し、生きやすい世の中になってくれると良いな、と思う。

不妊治療のこと①

もう数年前になるが、私は不妊治療を2年半していた。

そして結果、子供は授からなかった。

 

この事を知ると大概の人が”気の毒に”と言う顔をするし、”子供の話はタブー”と思って腫れ物に触るような扱いをする。

 

まぁ分かる。私も自分が経験するまではそうだったから。

それに不妊治療経験者の中には、本当に触れて欲しくない人もいるだろう。

 

私は37歳で結婚した。まぁ晩婚と言って良いだろう。

ただ周囲にも同じ様な年で結婚し、出産していた人が何人もいた。

本当に子供が欲しいかどうかと問われると大いに疑問があったのだが、流れでそうするものだと思っていた。

 

不妊治療を始めたのは母の勧めだった。

35歳を過ぎると妊娠率が著しく下がるので、早くした方が良いと言われたからだ。

今まで子供が出来にくい体と診断された事も無く、なんとかなるだろうと思っていた。

最初は人工授精、そして体外受精へと進んだ。途中仕事を辞め、専業主婦になった。

 

もう数年経つのによく覚えているのは、最初の人工受精に挑む時に

「本当に良いのだろうか」と強く思ったことだった。子供が出来てしまう事に恐怖と後悔を持った。

 

何故ならば、私はとても悩みながら人生を送ってきたからだ。

もし子供が出来たら同じ様に苦しむのだろうか、そしてそれが自分では無く、自分が”命に代えても守りたい”と思う対象が、自分に似てしまったが故に苦しんでいる、そんな姿をずっと見て、そしてその子を残して自分は先に死んでいくのか、そう思ったら、とても恐ろしいことの様な気がした。


それでも、2年半治療を続けた。

続けられたのは公的な補助が手厚かったからだ。

そしてやるだけやってダメだったら、心置きなく諦められる、そう思ったからだった。

 

親は孫の誕生を期待していた。

両家とも他に孫はいなかったからだ。だから親を喜ばせたくもあった。

自分も人生の次のステップとして、子育てと言うものを経験してみたくもあった。

 

でも授からなかった。

最初は特に欲しいとも思っていなかったけれど、健康に気を遣い、良いと勧められたものは試し、そうしているうちに毎回毎回授からない事に落ち込んだ。

努力と成果が比例しない事に消耗されていった。

 

治療開始から2年経つ頃には、早く止めたいなぁ、これが終わったら何しよう、と思い始めていた。

 

周囲も、子供がいない夫婦の方が仲が良いよ、子供がいない幸せもあるよ、と教えてくれた。

またある人は、里親制度を勧めてくれたり、「今いる人類の全ては○万年前に1万人に人口が減った時の子孫である、だから自分のDNDを残す事に必死にならなくても良い」

と言う面白い話をしてくれた。

 

なので、この補助金が無くなったら不妊治療を止めよう、と思っていたタイミングと

医者から「もうそろそろ諦めた方が・・・」と言われたタイミングが全く一緒で

案外スッキリやめる事が出来た。

 

そして”子供を持たなかった”と言う事を逆にプラスに変えられるような生き方がしたい、そう思って就職活動を始めた。

 

世の中を見渡すと意外に子供のいない夫婦は多い。

そして子供がいても離婚している人も沢山いる。

もちろん独身の人もたくさんいる。

 

皆色々だなって思った。

 

これまでに私に”子供がいない”事が弱点だと思ってマウントしてくる人がいた。

思い込みとは恐ろしいものだ。そしてクソみたいな事をする人間が複数いる事にうんざりした。

でも、ふと気が付いた。

そういう事をしてくる人は、自分は不幸だと本人が思っていることに。

 

離婚していてそれをコンプレックスに思っていたり、周囲から嫌われていたり、会社を首なりそうだったり。

人にマウントをし、”自分の方がまだマシ”と思うことでしか、自分を保てないのだ。

それに気が付いた時、その人達の事を心から可哀想な人だな、と思った。

 

そしてそんな人達に心捕らわれる事無く、同じ様な状況の人と、老後の不安について話し合ったり、情報交換したり、自由な身を活かして旅行に行ったりイベントに行ったり、楽しくて前向きな事がしたいな、と思った。

 

続く。

ストーカー被害 まとめ

一連の出来事を通じて、色々と考えさせられた。

一番強く思ったのは、主張しなければ”分かって貰えない”ことだ。

時間をかければ分かって貰える、と性善説に基づいて行動せずにいたかもしれない。
それと「事を荒立てずにいる」事が大人だと思ったからだ。

ここ10年位色んな会社を転々としている。
理由は様々だが、基本的に「間違った事をしている人を許せない」という柔軟性の無さが全てに通じる根本的な原因だ。
でも、それは私の良さでもあると思っている。きっと物申すのは悪い事では無いだろう。
でも”言い方”は気を付けなければならないし、まず信頼関係を築いてからで無いと聞き入れて貰えないのだろう。

だから反省を踏まえて黙っていた。それが裏目に出た。

それと、数ヶ月しかいなかった会社なので仕方が無いのだが、何故か「気が弱くて言い返せない人」として扱われていた。
今までどちらかというと「空気を読まずに言い過ぎる人」として扱われていたので、人って分からないものだな、と思った。

でもそれも無理はないか。

確かにそう言う気の弱い部分も持ち合わせているし、ブチ切れるまでは我慢をするタイプではある。


何か言われた時に私はすぐに言い返すことはしない。
びっくりしてすぐに言い返せない、と言う事もある。
が、瞬間的にやり返すと言うのは言葉選びも間違えるし、ヒートアップして関係が悪化する恐れがある。
なので一度持ち帰って落ち着いてから分析し対応策を考えるのが良いと思っている。

20代~30代にかけて9年ほど勤めた会社では本当に意地悪で頭のおかしい先輩や同僚がいっぱいいた笑。
初めは舐められたり色々言われまくって鬱になったりもしたが、ある時から“やられた嫌な事”と全く同じ様にして返すようにした。
するとさすがに気が付く。あ、自分がやっている事の仕返しだって。
嫌な事する人の中には、自分がやっている事を“正しい”と思っている人もいる。でもオウム返しされて嫌な目に遭うと、自分がやっている事はこういうことだ、と気が付く。
それから怒鳴ってくる人は、怒鳴り返すとびっくりするくらいダメージを受ける。笑えるくらいに。

黙って言われるままにしていて、言質をとってから陥れたりしていたら、先輩に「本当に腹黒いんだから」と言われた笑

誰がこんな私にしたんだよ!


そんなこんなしているうちに人は攻撃して来なくなる。つかそんな事最初からしてくんなよ、って思うけど。

でも同時に、そんな報復をしなくても、見てくれてる人は見てくれてるなって気が付いた。
どんな目に遭っても腐らずに、自分の正しいと思う事を日々やっていけば、自ずと周りは評価してくれる。

ただそれには時間がかかる。だからやはりその都度主張して行くべきなのだろう。

 

それから私が思うに“仕事が出来る”女性って皆「負けず嫌い」だと思う。
負けず嫌いだから仕事が出来るようになるのか? ま、それはどうでも良いとして。

そして皆“キツい物言いをする”とか“言わせない圧をかける”事が強さだと思っている。
でも私は、己の感情をコントロールし、相手に真意が伝わるよう工夫し、状況を変える力がある事を本当の”強さ“だと思うのだ。
なんて自分も持っていないけれど笑

女性の社会進出なんてもう随分と前から始まっている。
そして最近SDGsだの女性の管理職登用だの言われている。
確かの女性目線の意見は会社運営にもっと取り入れられるべきだと思うし、事実女性の管理職が多い会社ほど利益率が良いらしい。
それに食品や生活に関わる業種はもっと女性の意見が反映されるようになれば、良くなるような気もする。

でも。女性は男性と違って、上に上がる為の教育をされてきていないのだ。
そして男性と女性は違う。体力的な差もあるし、家事の負担割合も違うだろう。
精神的にも女性の方が感情的だと思うし、そう言う部分の教育が必要ではないのだろうか。

現に私の周囲でも、役職が付き重圧に耐えかね、体調を崩し平社員に戻った、と事例がいくつかある。
仕事で無理がたたって家庭が崩壊した人もいる。

まず無理をさせる前に、体制を整える必要があると思う。

 

それから”適材適所”について。

前の会社で”ダメな人”扱いをされている人がいた。確かに少し変わった所がある。それにより仕事に支障が出ているようだった。それに対していい大人が全員で責め立てているようだった。隠しもせず”問題児”扱いをするのだ。思えば私もそう言う扱いをされた事があるし、他の会社でもそう言う扱いをされている人を見た。

他人の評価なんて気にしないで、自分は自分って思っていれば良いのよ、なんて言うけれど、あまりに周りからの評価が低いと自己肯定感も失われるし辛いものだ。、見ていて可哀想だった。

でもその子はとてもITに詳しかった。本人の希望とは違う部署に配属しておきながら”使えない人”扱いするのはいかがなものなのか。

IPS細胞でノーベル賞をとった山中伸弥教授も、病院勤務時には「ジャマ中」と揶揄されるほど”出来ない人”と評価されていたらしい。

でもコツコツと研究するのは性に合っていたのだろう。ノーベル賞を受賞した。

友人の会社でも高学歴なのに空気が読めなくて問題になっている人がいた。

でもきっと部署が違えばその能力を思う存分伸ばせるのだろう。

 

誰もがその個性を潰さずに気持ち良く働ける社会だったら良いのにな、と思う。

そうか、それがダイバーシティなのか。

 

私はどんな環境だったら気持ち良く働けるだろうか。

思えば、観光の仕事をしている時、空気は読んでなかったけれど、仕事が楽しくて楽しくて人の物言いや評価なんて気にしてなかったな。文句もいっぱい言ってたけど笑

分かって無い事ばっかりだったのに妙な自信だけはあって、数年間トランス状態だったような気がする。

あれは今思っても忘れがたい。

あれはあれで周囲は迷惑だっただろうけど、あう言う状態をもう少し薄めた前向きな感じを程良く保って働きたいな、と思う。

早く働きたい。

こんなに色々苦労してきていても、私は働きたいのだ。

なんでなんだろうね。承認欲求かな。でも何かの役に立ちたいのだ、私も。