Lilibet148のブログ

人間関係、持って生まれた気質、適性のある仕事、日々色んな事に悩み、心を整理する為に書いています。

女性は高い地位に向いていない

女性は高い地位に向いていない。

ドラマTHE CROWNの中でイギリス初の女性首相サッチャーが言った言葉だ。
何故?と問いかけるエリザベス女王に「感情的だから」と答えた。

ここにもそう思う人がいたのか、と思った。

私は小さい頃から「女の人も仕事を持って経済的に自立すべき」と母に教わってきた。
貧しい家庭環境で育った母は、祖母の教えでお金で苦労しない様、手に職をつけるべく看護師になった。
働く母は格好良く、私の自慢だった。
友人にも「女も仕事をすべき!」と説いて回っていたし、20代半ばまでそんな感じだった。


でも、ふと気が付く。
女性の方が圧倒的に体力が無い。
当時働いていた職場で当たり前の様にあった長時間労働に私は堪えきれなかった。
なので私は事務職に転職した。(他にも理由はあるけれど)
自ら稼ぐ仕事では無く、定時で帰れるけれど誰かのサポートをする仕事だ。楽だったけれどやりがいのあまり感じられない仕事だった。

そして「話を聞かない男、地図が読めない女」と言う本に出会う。
男女の能力には違いがあるのだ、とその本には書いてあった。

確かに大半の女性の方が子育てや炊事洗濯等に向いている気がするし、体力仕事や数字・物理系の仕事は男性の方が向いている。
会話一つとっても、女性の会話は共感を求め、男性は解決策や結果を求めている。女性には女性向きの仕事があるのだろうな、と思った。看護師や保育士など。私もそっちを選べば良かったのかな、と思った。


時は流れ、いくつかの仕事場で何人かの女性の上司に出会った。民間の会社で、だ。
初めはやる気があって、長を名乗る彼女たちを尊敬し、サポートしようと思っていた。
が、大体の人が感情的で、大量の仕事を無茶ぶりし、人を振り回し、周囲の人はうんざりし次々に辞めていく、そんな人が多かった。
異性の上司ならば遠慮があるところ、同性だと厳しく、また関係が悪くなると、どうすれば相手が嫌がるか分かっているので、タチが悪かった。

よって、サッチャー首相と同じ考えに至った。
「女性は高い地位に向いていない」

 

なのに、昨今「女性の管理職登用」が求められている。
以前居た会社でも「女性の管理職の割合をあげたい。だが女性側が断るのだ、と。」
これは他の会社でも起こっている、と新聞等で見た。

当たり前だろ、と思う。
周囲の主婦を見ても、家事育児の大半を担っている人がほとんどだ。
大抵どこの家も夫は長時間労働を強いられ、帰宅は遅い。よっと必然的に妻が担う事になるのだ。
フルタイムで働いているだけでも大変なのに、どこのバカがそれ以上の負担を背負うのだ。

そんな話をしていたら友人が
”コロナワクチン接種で看護師が大量に必要となった時に、とある政治家(年配の男性)が「家で遊んでいる資格者を引っ張り出せば良い」と言った、と。
有資格者だけど今現在働いていない人の中には、事情があって仕事が出来ない人もいるのに、このおっさんは一体何を言っているのだ。県内の社長の集まりを見ても、おじさんばっかり!人口の半分は女性なんだし、本来ならば色んな立場の人の意見が必要なんじゃないだろうか”

と話をしてくれた。
確かにこう言う事って世の中にごまんとある気がする。

いま、SDGsや多様性が謳われている。それ自体は良いことだと思う。
だが、まだ過渡期なのであろう。
過渡期は何事も不安定だ。

女性の管理職はロールモデルが少な過ぎる。
やはり特性が男性と違う以上、別の育成方法が必要なのでは無いだろうか。
いかに感情をコントロールするべきか、部下の育成方法、あらゆる場面で男性とは違うはずだ。

私も若い時は”こうあるべき”と言う思い込みが激しかったんだろうな、と思う。
でも、ここ数年は反省が過ぎて”周りをザワつかせる様な事を言って変な人だと思われないように”縮こまって生きてきた気がする。
田舎だからジェンダーフリーを声高に叫ぶと異質な人として見られがちだし、県民性なのか昭和生まれだからなのか”出過ぎない事”が美徳の様な気がしていた。


でも「総論賛成、各論(自分は)反対」では世の中はアップデートされていかないのであろう。

自分の考えを感情的にならずに相手に伝え、そして自分が出来る事を出来る範囲でやって行けたらな、と今は思う。