朝井リョウ「正欲」
朝井リョウの「正欲」を読み終えた。
帯に「これを読む前には戻れない」みたいな事が書いてあったけど、私は
「そう!こういうことが言いたかったんだよ」と思った。
最近の電車での無差別傷害事件
2018年の東海道新幹線車内殺傷事件
古くは秋葉原の連続殺傷事件
加害者の生い立ちや背景を「異常者」として報道するメディア。
ずっと違和感を感じていたし、なんだったら”加害者の気持ち、ちょっと分かる”
と思ってきた。
小さい頃から苛められたり、不登校になったり社会からはみ出ていた彼ら。
家族にも厄介者扱いされ、大人になり社会に出てもつまはじきにされてた彼ら。
結果、社会を憎むようになっても仕方が無いと思う。
自分だって好きでこういう風に生まれたんじゃ無い、もっと普通に生まれてきたかった、ときっとずっと思ってきただろう。
そして普通に生まれ、当たり前の様に人生を謳歌し、はみ出た自分を苛めたり嗤ったりする人間を憎らしく思っただろう。
彼らにも反骨心がある。”悔しい” ”仕返ししてやりたい”と言う気持ちがある。
それが事件に繋がっていく。
どうだ、怖いだろう、俺。って言う自己顕示欲。
これを分かるって言ったら異質なものを見る目で見られるのだろうか。
誰にでもあると思う。バカにされたら腹が立つ気持ち。言い返したい気持ち。
それの拡大版なんじゃないのかな。
もちろん、何の罪も無い人が巻き込まれて亡くなってしまったのは残念に思う。
でも直接的に苛めた訳ではなくても、”異質なもの”に優しくない社会が彼らを生んだ要因でもあるだろう。
もう少しだけ彼らに社会が優しかったのなら、こういう事にはならなかったんじゃないかと思う。
そんな事を思い出した本だった。
もちろんこの本が言いたい事はこれだけじゃないけど。
世の中の様々な価値観の中で多数派に属している事は「正義」では無い。
誰しもが少数派であり、孤独である。絶対的な正義など存在しないのだ。
そして(とある人の言葉だが)
自分の想像出来る範囲の事だけ理解し、多様性とか言い放って世の中の秩序を
整えた気になってんじゃねーぞ、と言う事だ。
個人的に刺さったのは
物語の主人公達は少数派で、他人に理解されずに誤解されたまま不遇な状況にある。
他人に理解されない事に慣れていて、もはや諦めている。
でも。
それでも主張はしていくべき、だろうと言う事だ。
主張すれば理解されずに、更に傷付くことにもなるだろう。
でも、言わねば理解してくれる人も現れない。
戦わねばならないのだ。
自分の為にだけでは無く。